ブログをリニューアルします。

今までは脳梗塞を発症して見えてきたことを中心に書きました。これからは60歳という人生の節目を過ぎた今だから、30余年過ごしてきた「人材育成業界」で日々感じたこと、見えたこと、思ったことを中心に書きます。

講師ってなんなのか?研修ってなんなのか?組織ってどうなのか?様々な切り口で振り返ります。その時間が次の私の扉を開けることに繋がると思っています。

高く、広く、深く人生を創っていきたいと思います。

ちょっぴり楽しみに読んでもらえたら嬉しいです。そして皆さんのなんらかの参考になれば嬉しい限りです。

 

この年齢になっても、行うのが難しいなと思ってしまうことはたくさんあります。特に最近難しさを感じているのは、自分とはモノの見方、感じ方が異なる人と関わることです。

 

若い頃は気にもならなかったことが引っかかります。「なんでこんな風に考えるのか?」「どうしてもっと行動しないのか?」「なんで、ここでこういう発言をするのか?」等々。

以前は「きっとこうなんだろう」と理解を示せたり、解釈できたことが難しくなっています。

 

齢を重ねることによって、工夫する能力や努力する胆力が低下しているのでしょうか? 驚くことに「最近の若いモンは」とつぶやくこともあるし、「いい年してそれはおかしい」と憤慨することもあるのです。

元々「こうあるべき」という信念というか思いは少なく、臨機応変の権化だったのですが・・・。

 

自分だけが頑固になっている、固くなっていると落ち込むこともありましたが、これは50歳以上の他の人にも共通している事象ではないかと、この頃感じています。

 

研修でお会いする管理職にも多い現象だと思うのです。私たちは仕事でずっと頑張ってきました。辛いことも多かったけど、それらを克服して今があります。評価も受けているし、自分でも「まぁ、上出来だ」と思っています。

 

ところが、それが大きな落とし穴のようです。人は皆、それぞれに頑張ってここまで来ているのですが、頑張ったと思えば思うほど、「初心」は遠ざかり、「謙虚」さを忘れさせるのです。人を受け入れにくくなり、自分の価値観だけが正しいと勘違いしてしまうのです。

 

私たちはいずれビジネスの現場から去ります。でも人生はそれからも終わりまでずっと続きます。人としての役割に終わりはなく、最後までいろいろな役割を担っていかなくてなりません。

 

そしてつくづく思うことは、様々な価値観があるから人生は面白く、魅力に溢れているのだということです。

 

「自分だけが」という気持ちを解き放つと、見えて来るモノが増えるのです。それに、「もうこの齢だから、穏便に」とか、「そろそろ楽に過ごしたい」とか思ってしまうのはもったいないのです。

 

次の頑張り方を考えることは、自分の今までを肯定することであると思う今日この頃です。私の次の頑張りの対象は「初めてのことを始める」ことにしようかなと思っています。

 

大病を患った8年前。この病気についてドクターや理学療法士からたくさんの説明を聞きました。というか、聞いた気がします。

 

「ずっと降圧剤を投与すること」「半年たったら医療としてのリハビリが終わること」「元に戻ることはないこと」「日常生活を一人で行えるように独自にリハビリすること」等々。

 

随分聞いたはずなのに、違うドクターや理学療法士からもたくさんのことを聞いたはずなのに、実は殆ど覚えていないのです。

 

勿論、精神的にも動揺していたり、知らない分野のことなので、記憶があいまいということもあるとは思いますが、話を一緒に聞いた家の者も、友人も覚えていないのです。

大変なことになったという気持ちの記憶はあるのですが・・・。

 

その原因を私なりに分析すると、一つのキーワードが浮かびます。それは、『想像がつかない』です。

 

私の病気の場合は、家族や知人に麻痺患者がいないし、「麻痺がどういうものか? 麻痺の生活はどんなことがあるのか?」全く未知のことでした。ですから色々言われても、私だけではなく、周囲も想像が及びませんでした。

 

これと同じことが後輩や部下の指導にも起こります。指導者は通って来た道ですから、「これからどういうことが起こるか? 何をすれば良いのか?」が分かっています。ですからその経験を元に指導を行います。経験を元に話をします。

 

でもです。経験をしたことのない人間にとっては、「ああせい、こうせい」と言われても、「これからどういう状況になるのか?」が想像できないのです。

想像できないから、言われたことが腑に落ちないのです。納得できないから覚えられないのです。そのためアドバイスや指導が身に付かないのです。

 

すべきことをただ伝えるだけでは、相手には伝わらないのです。何故すべきなのかの理由やその前後の状況を伝えないと分からないのです。

 

もちろん経験を積めば後から言われたことが分かることも多いです。私の場合も8年の経験が理解を推進させました。でもそれは自分でそれなりに頑張った結果だと思っています。ドクターや理学療法士の皆さんには悪いのですが・・・。

 

上司や先輩は、部下や後輩に、なぜこうすべきなのかを想像させられる指導を、腹に落ちる伝え方をしないと、そしてそこに注力しないと、せっかくの指導が徒労に終わってしまうと思うのです。経験すれば後から分かるでは指導ではないと思うのです。

 

 

 

元々、当人だけでなく家族全体に目を向ける家族療法で使われていた「リフレーミング」(feframing)ですが、人材研修でも頻繁に使われています。囚われているフレーム(枠組み)を外して、違った角度からアプローチする手法です。

 

私自身も自分の辛い経験を経て、自分のためによく使っています。「モノは考えよう、見方次第」と思っています。

リフレーミングで有名なのがコップに半分水が入っている場合、「もう半分しかない」と思うか「まだ半分もある」と思うかです。

 

自身が「どう感じるか」はとても大事です。そして、「どう解釈するか」はそれ以上に大事だと思うのです。長年私もつい感じるほうに重きを置いていましたが、起こったことを、目の前の事象を「どう解釈するか」を今は重視しています。

 

「何故この人はこういう言動をするのか?」「何故自分はこんな状態になったのか?」「ここを突破するための方策は他にないのか?」「視点や視座を変えたらどう見えるのか?」等々いつも考えます。

 

そうすると、闇の中に光が見えてきます。こだわり過ぎていた自分の姿が分かってきます。感情だけに左右されていたことの愚かさが浮かび出てきます。

 

こだわりや信念は大事ですが、そこに囚われ過ぎると、不条理な思い込みがはびこります。その思い込みに自分が傷つけられます。

もう少し自分の枠を広げたり、様々な意見を聞く余裕が出来てくると、自分の信念も大事だけど、それは自分以外の人も持っているものなんだと気づきます。そうすると、他者に対しても優しい見方が出来てきます。

 

物事を判断するモノサシを持つことは重要です。特に管理職や指導者、親もそうかもしれません。

でもモノサシは一本ではないと思うのです。勿論、いつも異なるモノサシで、その都度判断が異なるのは周囲に迷惑をかけますが、一歩も譲らないという姿勢も困りものです。

 

世界は見方次第なのだと思うと、人生も気持ちも広がると思うのです。それは好き嫌いで考えるより頭を使いますが、面白い結果をもたらしてくれると思うのです。いかがでしょうか?

 

 

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