ブログをリニューアルします。

今までは脳梗塞を発症して見えてきたことを中心に書きました。これからは60歳という人生の節目を過ぎた今だから、30余年過ごしてきた「人材育成業界」で日々感じたこと、見えたこと、思ったことを中心に書きます。

講師ってなんなのか?研修ってなんなのか?組織ってどうなのか?様々な切り口で振り返ります。その時間が次の私の扉を開けることに繋がると思っています。

高く、広く、深く人生を創っていきたいと思います。

ちょっぴり楽しみに読んでもらえたら嬉しいです。そして皆さんのなんらかの参考になれば嬉しい限りです。

 

2017年最後のブログになります。今年もたくさんお世話になりました。ありがとうございます。

 

最後は自分は自分以上でも以下でもない。人と比べても仕方のないことについて少々書きます。

 

研修の中で、自分と比べてしまって出る様々な小さな愚痴を聞くことがあります。

●同期なのに彼は環境面で自分より随分恵まれている。

●美人はやっぱり得ですよね。

●学歴の差、男女の差はまだ歴然とあります。

●ボンボン育ちなので扱いにくい、生まれた時から特別だよ。

等々。

 

確かにそういうことはありますが、愚痴ってみても仕方のないことです。それよりは自身が努力して、頑張っている自分を好きになることのほうが何倍も良いと思うのです。

 

運が良いも悪いもありますが、人生を眺めるとだいたい最後には帳尻が合い、バランスが取れるようです。

 

96歳になる母を見ているとそう思いますし、本人もそう言っています。自分の60年の人生でも、そう思います。

 

30代、40代と順調に楽しく、起業家人生を何も考えず送ってきましたが、53歳で脳梗塞。人生が大きく反転しました。調子に乗り過ぎていた人生があそこでリセットして、バランスが取れたのだと今でも思っています。

 

自分のことを大いに認める、認めるために努力する。過去の自分に負けないように頑張る、でも調子に乗り過ぎない。

 

人と比べるのではなく、優秀な人、恵まれている人、凄い人、そういう人を受け入れてみる。そうして自分独自のスタイルを作り上げていくのです。そんな人生の方が良いと思うのです。

 

人生100年も視野に入れ、一人ひとりがライフデザインすることが大切になっています。だからこそ、自分の軸を持つことです。如何でしょうか?

 

新しいことを学んだり、今までのやり方を変えたりするのが億劫になっていることはありませんか?

 

周囲が目まぐるしく変化していることに、慌ただしくしていることに漠たる焦りを感じることはありませんか?

 

仕事からの引退の二文字はこんな時に検討するべきだと私は思うのです。

 

定年を強制退去とおっしゃった人がいましたが、定年は次の人生を考えるきっかけではありますが、引退勧告でも、強制退去でもありません。

 

大事なことは、自分の仕事人としての衰えに敏感になることです。第一線の主役は張れない、一流のバイプレーヤでもいられない。

 

「自分は今どんな状況なのだろう?」ということを常に客観的に精査することが中高年には大切だと思うのです。

 

自分の地位や立ち位置を、喜んで後輩が受け継ぎたくなる働き方、見せ方をすることが中高年には期待されているでしょうし、すべきです。

 

衰えは中高年のすぐ隣に鎮座しています。衰える前に準備しなくては。若さには無様(ぶざま)も似合いますが、中高年の無様は社会にマイナスの影響が大き過ぎます。

 

常に自分を見つめるのは、大変ですし、疲れます。でも次の人生を考える身には、引き際が一番大事だと思うのです。

 

そんなことを感じながら、いずれは引退の二文字をうまく活用したいなと考える今日この頃です。

 

どうして、上司というだけで、先輩だということだけで、 客だというだけで、そんなに偉そうな物言いをするのでしょうか?

 

どうして、誇れる実績があるというだけで、年上というだけで、学歴があるというだけで、自分が一番と思い、相手を見下そうとするのでしょうか?

 

人はみな一人で何も持たず生まれて、一人でこの世を去ります。でも一人ひとりは皆誰かの大事な人であるはずです。

 

それを自分とは違うということで、恫喝し、貶めるのはもってのほかだと思います。皆それぞれの場で頑張っているのです。

 

それを認めれば、相手も自分も心穏やかになれると思うのですが、現実はそうはいかないことが多いです。

 

生きていることそのものが尊いのだと私は思います。だから人は尊いはずなんです。人の尊厳を地位や立場で見下すのは許されないことです。

 

そんな当たり前のことを、人は日々降りかかるストレスの雨の中で忘れてしまうのです。

 

許せない!と思っても、でもそういうことをする人たちにも、自分が分からないという哀しみや苦しみは内在しているのです。そこに何が出来るのか? 難しい課題です。

 

様々なハラスメントに対する知識や理解が低いことが問題ですが、それ以上に相手がどう感じるか? どう哀しむか?に対する想像力の低さも大きな問題だと思います。

 

悪気はなく、自分の小さな世界観でことを起こす。悪気がないだけに罪は深いし、それに自分の世界観を正当化するすべを知っています。周りに及ぼす影響は大きいのです。

 

そのことを納得させる、理解させる取組みはまだ道半ばです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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