ブログをリニューアルします。

今までは脳梗塞を発症して見えてきたことを中心に書きました。これからは60歳という人生の節目を過ぎた今だから、30余年過ごしてきた「人材育成業界」で日々感じたこと、見えたこと、思ったことを中心に書きます。

講師ってなんなのか?研修ってなんなのか?組織ってどうなのか?様々な切り口で振り返ります。その時間が次の私の扉を開けることに繋がると思っています。

高く、広く、深く人生を創っていきたいと思います。

ちょっぴり楽しみに読んでもらえたら嬉しいです。そして皆さんのなんらかの参考になれば嬉しい限りです。

 

大相撲協会、日大、東京医大、レスリング協会、アマチュアボクシング協会・・・、報道を見聞きしていると「なんで?」という疑問が噴出です。

 

私は、人生 “生涯現役” を推進したいと思っていますが、その大前提は「老害」にならないことであり、現役世代にとって役に立つこと、自分の持っているものを惜しみなく与えることだと思っています。

 

ケチや姑息な考えで、スキルやポジションの譲渡を拒み、成果や成功を自分だけで抱え込むのは、後進の進歩を拒むだけでなく、自分自身の成長の否定に繋がると思うのです。

 

それなのに最近の騒動はなんでしょうか? それぞれの皆さんは主役を張って、その業界を育て、牽引してきた立派な過去があるはずです。良いことや改革も随分としてきたでしょうに。

 

自分の成長を否定しているとは、よもや思っていないでしょう。晩節を汚しているとも思っていないかもしれないし、理解出来ていない輩に闇雲やたらに批判されていると思っているのかもしれません。

 

それよりもなによりも、自分は常に信念に基づいて行動しているんだ!と思っていることでしょう。

 

でもです。この「信念に基づいて」というのが、曲者なんだと私は思います。あの時の自分の信念に基づく行動、自分の世界観は、果たして今も通用するのでしょうか?

 

いつの時代も成果や成功は、その時代の波に支えられています。波というのは、例えば景気もありますし、人々の感情もありますし、歴史の流れも、タイミングもあります。

成果や成功には必ずこの波がついています。偶然に掴んでしまう人もいますし、自分の力で掴む人もいます。

 

言い換えれば、個人の努力も大きいのですが、成果や成功はこの波に大いに助けられていると思うのです。

しかし自分の世界観、築いたものは、その波にはマッチングしていても、変わらずにずっと続くことはありません。波の潮目はいつか変わります。

 

それをベテランは気が付くべきです。いつまでも自分の世界観が通用するということはないのです。それを忘れてしまうと、ごり押しだけの老害になり、これまでの成果さえ潰し、晩年の節操(晩節)を汚してしまうのです。

 

生涯現役は素晴らしいことですが、時代の転換期を迎え、なお且つ人生が長くなった今では、後半戦や晩年にもなると、自分を変えることを意識しないといけないと思うのです。

 

学び直しを行うことで、視界を広げ、自分の立ち位置や役割を理解しないといけないのです。生涯続くことは、生きていること以外何もないと思うのです。如何でしょうか?

 

 

 

ベテランのリーダーが、「あの子も、もう少し愛想が良いといいですよね」と後輩社員を見て、私に言う。

 

私はいつも心の中で、「貴女も周囲からそう言われていますよ」と繰り返す。ベテランリーダーは周囲から自分が愛想がないと言われていることを知りません。ましてや、自分に愛想が欠けていることに気づいていません。

 

「人の振り見て我が振り直せ」はそう簡単なことではないと、この頃とみに思います。それにプラスして、組織の中でキャリアを重ねてくると、もう殆ど自分のことを振り返られなくなると感じます。

 

リーダーシップ研修の中で、「人を受け入れる、人から受け入れられることの重要性」を随分伝えていますが、他人事としては皆さん受け入れるのですが、自分事としては捉えていないようです。

 

と言っている私も、自身の振り返りは出来ていないと思います。こんなに頑張っている私は悪くない、良いに決まっていると思いたいのです。それに自分の事だから、エクスキューズは何とでもできます。

 

でもです。どんなにベテランになっても、組織の中で成果を出していても、仕事は「人が人に関わって成果を出す」ものだと思います。そう思うと、自分は人からどう見られているのか? どう期待されているのか? は常に意識したいと思うのです。

 

キャリアや年齢を重ねるほど、他者との関係を大事にすべきだと思うのです。如何でしょうか?

 

 

 

パワハラまではいきませんが、どうしても付き合うのが嫌な上司とか、苦手な先輩はいませんか?

 

言い方だけでなく、態度も、対応も堂々としているのを超えて、威嚇的 ―― そんな人は実は、自分がとやかく言われることが苦手だし、怖いのだと思うのです。

 

常に自分の価値観を曲げずに、まるでそれが唯一の答えであるかのごとく発言し行動するのは、他者に付け入れられたくない、そんな隙を見せないためのようです。

 

私はこういう人は、社会人として未熟だと思うのです。でも意外にも、組織では珍重されていたりします。ここまでの態度や発言だから、何かしら優れたものや良いものを持っていると勘違いされている。そして本人も勘違いしているのです。

 

ここに、悲劇の種があるのです。人と関われないから、社会人として未熟なまま、年齢を重ねてしまう。そして周囲と自分の勘違いで、今の自分を高く評価してしまう。

 

ところが、なのです。ずっと同じ環境が続けば良いですが、現在の組織を卒業すると途端に、まるで使えない人間であることを、否応なしに自覚させられる。今まで何をしてきたのかと、これでもかと思い知らされる。

 

それは哀しいと思いませんか?

 

別に、周囲に愛想をふるまうことも、媚を売ることも、遠慮することもありませんが、自分以外は皆、自分とは異なるものを持っていること、そしてそれを知ることは楽しいことであり、大いに付き合う価値がある存在であることを認めて欲しいのです。

 

常に、「自分が、僕が、私が」を押し出すのではなく、相手の存在を受け入れること、相手の話を聞くこと、興味と好奇心を持つようにしてもらいたいのです。

 

人は人によって磨かれます。人と出会っているこの時、このチャンスを自ら潰して欲しくないと、中高年の問題に関わったり、見聞きすると痛感する今日この頃です。

 

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