ブログをリニューアルします。

今までは脳梗塞を発症して見えてきたことを中心に書きました。これからは60歳という人生の節目を過ぎた今だから、30余年過ごしてきた「人材育成業界」で日々感じたこと、見えたこと、思ったことを中心に書きます。

講師ってなんなのか?研修ってなんなのか?組織ってどうなのか?様々な切り口で振り返ります。その時間が次の私の扉を開けることに繋がると思っています。

高く、広く、深く人生を創っていきたいと思います。

ちょっぴり楽しみに読んでもらえたら嬉しいです。そして皆さんのなんらかの参考になれば嬉しい限りです。

 

このところ人生100年という言葉を頻繁に耳にします。少し前までは「えっ!せいぜい90歳じゃないの?」とちょっぴり違和感がありましたが、それではいけないと思うようになりました。

 

というのも、若い人達にとっては既に人生100年の時代なのです。現在18歳が100歳になるのは82年も先のこと、そしてそのうち半分は22世紀をその目で見るのです・・・。

 

時間軸がポッカリ抜けていたと反省です。私たちのすぐ後ろから、人生100年時代が追いかけてきています。今の常識はどんどんアップデートされ、10年後には、例えば75歳まで働くのが当たり前かもしれません。

 

閑話休題。それはさておき、わたくし事です。仕事が入っているのは、大変うれしいのですが、ついブログを書くのが遅れてしまいます。段取りがうまく取れないと反省です。

 

仕事の合間を縫って、リハビリもしなくてはなりません。仕事寿命も長くなっているから、おいそれとは辞めさせてくれません。そのためにも、身体を整えることを並行して行わないと。

 

8年前に大病をしましたが、日々幸せに充実して生きています。身体の不自由さも随分慣れました。日常生活も無事に送れています。

 

でもです。ここで一つ問題が。それは身体が不自由でない状態を忘れつつあるのです。この身体、そしてこの状況に慣れてしまい、これが通常になってしまっているのです。

 

慣れることは大事だし、状況に対応できることも勿論大事ですが、本来の姿、様子、基本を忘れてしまったのではどうなんでしょうか?

 

考えてみると、こういうことは多くあります。今の自分の状況が全てで、それに慣れて、本来のあるべき姿や、したほうが良いことを考えなくなる・・・。

 

気持ちは楽ですが、成長は無いように思います。齢を重ねても、変化対応力はつけても、やっぱりそこに留まってはいけないように思います。

 

大変なことがありましたがそれを乗り越え、そのため今がうまく行っていても、また自分では案外満足していても、やっぱり慣れ過ぎるのはいけないかなと思います。

 

未来志向、新しいことにチャレンジ、基本の見直し、人生の振り返り、これからの人生設計・・・。することはまだまだ見つけられそうです。

 

そして、どうやら「今を大事にする」ことと「今に慣れる」ことは違うんだと思うこの頃です。

 

 

ゆっくりとしたリタイアを目指しています。私は自営業ですから、自分で終着点を決められると周りの人は言ってくれます。確かに、会社を存続するか否かの判断は自分で出来ます。勿論、一緒にやってくれているスタッフや関係者の思いもあるので、大きく勝手は出来ませんが。

 

でも私が考えているゆっくりとしたリタイアは、会社経営のことではありません。会社は最後まで、パートナーとやっていくつもりです。規模は縮小したとしても。今ゆっくりとしたリタイアを考えるのは「講師稼業」です。

 

長年に渡り、会社の看板として講師という仕事をしてきましたが、この仕事はお客様あってのものです。勿論それはどんな仕事でもそうですが。でも提供する内容が同じであっても、お客様が納得する基準、発注してくださる基準は、講師の力量に大きく左右されます。大げさな言い方ですが、人気稼業でもあります。

 

なので、お客様に飽きられないうちに、忖度されないうちに、遠慮される前に、徐々に後輩や他の講師に道を譲ったほうが美しいと思うのです。それに個々人の力が会社の将来を左右する時代になり、今後ますます、企業における人材育成は重要になってきます。時代に取り残されない知恵も伝えていかなくてはなりません。

 

齢を重ねた人間のほうが、そういう内容の講義は出来るとも思うのですが、そんな大事なことは自分より若い講師に経験させて、更に伸ばしていける道筋を付けるのが、昔ある時期その役割を持たせてもらった人間の使命だとも思うのです。

 

役割を持って周囲の人に期待され、喜ばれ、そして認めてもらえるのはとても嬉しいことです。でもきれいなバトンタッチをすることは、それが出来ることは素敵なことだと思うのです。

 

ゆっくりとしたリタイアを考えられる、これは誰にとっても魅力なことだと思うのです。しがみつかない美学を感じるのは私だけでしょうか?

 

 

 

自慢話のようで恐縮ですが、一を聞いて十を知る人間でした。勘が利くタイプで、学校の成績に関係なく、様々なハードルを意外にスムーズに乗り越えて来ました。

 

あまり深く考えず、自分の本能というか勘だけで、人生を生きてきたように思います。議論をしたり、深く物事を考えてこなかったとは反省です。

 

でもです。この頃は深く考えたり、議論することが面白く感じます。一つの命題について考える、意見交換する。他者の意見を聞いてさらに考える。そんなことが楽しくて仕方ありません。

 

議論や考えることは面倒でもありますが、色々な視点(視ている観点)や視座(視ている座標)で考えると、自分の中に今まで気づいていなかった自分を見つけたりします。

 

自分と対峙する以上に他者と対峙すると、得られるものはとても大きいです。他者の意見や考えをあっさり聞いて、このぐらいのことだろうと浅く理解するよりも、大きな喜びや自己成長感を感じます。今までは下手な考え休むに似たりと言っていた自分が浅はかだったと思います。

 

考えることの喜びは教える以上の喜びです。他者が自分の意見を受け入れてくれる以上の面白さです。どんな些細なことでも一から考えてみると、奥の広がりが見えてきます。何よりも素敵なことは考えたことが自分の血となり肉となっていくことです。

 

年齢を重ねて、色々な経験をしていますし、様々な知識も持っています。でもです。そんなモノがなくても、考えることで目の前の景色が変わって見えます。誰かが言ったことでも一旦受け入れて自分の中で考えてみると、全く異なった景色や解釈が見えてきます。

 

当分、仕事に関係なく「考えること」の面白さとそのあとの喜びに浸っていたいと思うこの頃です。

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