ブログをリニューアルします。

今までは脳梗塞を発症して見えてきたことを中心に書きました。これからは60歳という人生の節目を過ぎた今だから、30余年過ごしてきた「人材育成業界」で日々感じたこと、見えたこと、思ったことを中心に書きます。

講師ってなんなのか?研修ってなんなのか?組織ってどうなのか?様々な切り口で振り返ります。その時間が次の私の扉を開けることに繋がると思っています。

高く、広く、深く人生を創っていきたいと思います。

ちょっぴり楽しみに読んでもらえたら嬉しいです。そして皆さんのなんらかの参考になれば嬉しい限りです。

 

ある管理職はご両親の介護のために、退職か否かの岐路に立っていました。 実家に住んでいる両親の面倒を見られるのは一人息子の自分しかいません。東京に住む奥様の母親も介護が必要で、奥様はそちらに専念している状況です。

 

退職して自分が故郷に帰ることも考えていました。お子さん三人のうちまだ一人は学費がかかります。なので介護の費用を無理して捻出するよりも、自分が戻って面倒をみた方が良いのではと考えていました。地方都市なので何らかの仕事は見つかるだろうと考えているようでした。

 

けれどもよく話を聞くと、今の職場で居場所が無くなってきていることが、彼の退職を後押ししているようなのです。50代も半ばになると、職場での役割が変わってきます。それに対応しきれない人も出てきます。

 

職場では30代・40代の後輩達が新しい波を起こしています。自分もその波に乗るつもりだったのが、海岸からその波を見るしかできない。その現実に耐えられなかったのです。先頭に立ってとは言わないけれども、波を起こし、波に乗っていた自分が傍観者の立場になったことに気付いたのです。

 

そんな時に出現したのが、親の介護。自分の役割は、居場所は「ここ」ではなく、「そこ」にあると思ったようなのです。

 

確かに、人生は仕事が、会社が全てではありません。ここを退職しても食べていけるなら、それも一つの選択肢だと思います。

 

でもです。岐路に立ったことを好機とし、一度立ち止まって、自分の人生を考える良い機会にしたらいいと思うのです。こちらがダメだからあちらでは、同じことを何回も繰り返すことになってしまいます。次から次へと起こる状況に振り回される習慣が身に付いてしまうことになってしまいます。

 

せっかく出会った岐路なんだから、自分にとってのチャンスと捉え、ここで自分にじっくり向き合って、これからの生き方を考えて欲しいと思うのです。それに50代半ばというのは、人生の中間点を超えたばかり、後半人生が始まったばかりです。

 

波に乗れなければ、また能力が追い付かないのであれば、他の役割だってたくさんあるはずです。親の介護だって、一人で抱え込むのではなく、他のやり方もあるはずです。

 

一つのことに囚われずに、多方面から考える良き機会と思い、大いに考えて、岐路に差し掛かったことの醍醐味を噛みしめ、そして喜んでほしいと思うのです。

 

 

 

私は左半身に麻痺があるので、外出する時は杖を使って歩いています。出かける前に、「今日は足の裏の感覚が頼りないな」とか感じてしまうと、一日中、段差や坂道、階段等があった時にうまく対応出来なくなります。

 

逆に、「今日は調子が良いな」とか思うと、多少の段差等はモノともしません。それならば、「いつも良い」と自分に言い聞かせればとよく言われますが、これがどうもうまくいきません。ふと思ってしまうのです。そしてそれにコントロールされてしまうのです。

 

この『ふと』は私の無意識が起こしているものだと思うのです。自分でも気づかずに、この無意識を積上げて大きくさせているのは、日々の様々な体験や気づきであり、自分自身なのです。

 

私は自分の無意識をよく知らないけど、無意識は私のことをよく知っているのです。「こんなふうに思ってはいけない」や「こういう考え方はダメだ」と思い直したことも、自分は忘れてしまっても、無意識は覚えているのだと思うのです。だから『ふと』 出てきてしまうのです。

 

そして行動は、常に「無意識」にコントロールされています。脳は賢いから、いちいち意識しなくても、人の行動の9割以上が無意識に出来るようにしているそうです。例えば意識しなくても、歯を磨けるし、自転車にも乗れます。逆に言えば、自分の行動を全て意識して行うのは難しいことなのです。

 

このことは全てのことに共通だと思うのです。行動だけじゃなく、表情とか言葉だとか、感情もこの「無意識」にたくさんコントロールされています。苦手・得意、嫌い・好き、色々な感情を持っている人に対して、注意深く接しないと、相手にも分かってしまうぐらいこちらの思いが溢れているのです。

 

日頃から、無意識を意識して、その全容を知っておかないと、そして無意識を手なずけないと、と思う今日この頃です。

 

 

 

 

私が患った脳梗塞は、自分の生活習慣が行き着いた処にある病気です。言わば、日々の「負」積み重ねが招いたものです。

 

「この病は自分のせいだ」と気づくのも、言われるのも、中々辛いことですが、それが厳然たる事実です。自分で撒いた種ならば、自分で刈り取るしかありませんし、もうその種を撒かないようにしていかなくてはなりません。

 

「生活習慣病」とはうまい命名です。生活習慣とは「食習慣」「思考習慣」「行動習慣」のトータルですので、自分の生き方に「NO!」を突きつけられると同時に、この病の解決方法も教えてくれています。

 

でもです。自分を習慣を見つめ直すのは難しいことです。そのためには、様々な知識と情報、判断力と許容力、そして何よりも時間と根気が必要です。

 

自分を見つめ直すことは、何も病気だけに限らず、全ての場面で重要なことだと思うのです。平成が終わろうとしている今、既定路線という言葉はもはや死語かもしれません。

 

過去の経験が役に立たない、そればかりか足かせになるという事態が増えています。想定外のことに目をやり、意識を集中しないといけないのではと思います。

 

「今まではこうだった」という経験を振り回すのではなく、その経験を一から見直す。それが新たな一歩を自分にも周囲にももたらすように思うのです。勇気をもって、自分を見つめ直すことを習慣にするのは如何でしょうか?

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